昔の地図で「社跡」がありますが、
先日、実家の母に聞いてみました。

私が小さいころは、15m四方ぐらいの広いところに、大きな社(と言っていいのか分かりません。)がありました。
子供達の遊び場でした。
屋根まで登って、社の裏まで、かくれんぼして、、、
考えてみれば、当時、大人は誰も叱りませんでした。

その理由が分かりました。
母は
「あれは、こどもん神様」つまり「子供達の神様」として「うっどんかた」と呼ばれていたそうです。
母も嫁いできたので、よその人間でした。 調査が進展したら更新します。
祀っている方の名前は「平 もりかた(盛方? )」です。

子供達の遊び場の神様だったというのです。
それで、大人は誰も叱らなかったのだそうです。

お世話していたのが、「中川路」「新小田」「大小田」の三家で、
実は、今でも3家が5月に集まって、お弁当を食べて祝っているそうです。

当時の写真はありませんが、
区画整理後の昭和58年に移動しました。
先日、現在の小さくなったコンクリートで囲まれた、社の写真を撮ってきました。
現在の私の実家の正面にあります。
構造はかなり削られています。




この周辺の中川路も年寄りがほとんどです。
いつまでも花を飾ってくれる人が居ると良いですね。